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伝聞と非伝聞 番外編

ある弁護士に聞いた話である。

事件のあらましは、ある老女がいて、その子供が面倒を見ているわけではなく、近所に住んでいた、親戚夫婦が、面倒を見ていたところ、老女が痴呆になってきたので後見制度を利用して財産管理を始めるために、面倒を見ていなかった子供が、親戚夫婦に老女の銀行通帳を返すように請求した事案である。

ある弁護士は親戚夫婦側の弁護人として事件を受任したそうであるが、親戚夫婦の言い分は、
「普段から面倒を見ていて、財産管理を老女から任されていた。銀行の通帳のほかに、判子も預かっている。」ということで、一般的に考えれば、普段から面倒を見ている点、銀行の通帳があること、判子があることを考えれば、普段面倒を見ていない子供の側に非がありそうなものと思えるわけで、
その弁護士も必ず勝てるだろうと思ったそうである。

しかし、実際には、まけたわけだ。

負けた原因は、実は判子が、実印で、銀行の届出印とはサイズが異なるという、根本的な客観的な証拠に問題があったからだということである。

ただ、この話の教訓は、判子の確認をしなければならないということではあるのだが、それは、結局のところ、当事者の言っていることを疑えたかどうかという話であろう。

客観的状況としては、普通一般人の捕らえ方からしても、親戚夫婦の言い分に理があるように思える。しかし、現実には、なんらの対価要求も無く面倒を見ているというのも、それなりに危ないものであるともいえるわけで、老女という中心に立って考えた場合、親戚夫婦の言い分をテストする必要があったのは明らかだろう。

客観的証拠が存在するといっても、その証拠が正しい証拠である証明というのは、相当程度難しいものではあるが、それ自体疑う、ということはやはり必要なことであり、それは結局、言い分というものを一方的に認めることに問題がある事を示唆しているといえる。

客観的証拠も正しい証拠であるという前提がそろって初めて、客観的証拠と評価できると言い換えることも出来るわけで、正しい証拠と言えるかどうかについて、供述を伝聞として吟味することも必要になるということである。
# by thefort | 2011-04-23 23:42 | 法律 | Trackback
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